先々代(初代社長)齋藤辰三は、小学校卒業後15才より20才まで日本橋丸善の製本部であった萩村製本所の箔押場で修業を積んだ。そこで大正12年9月1日の関東大震災に遭遇し、勤務先が焼失してしまった。
1ヶ月後の大正12年10月、途方に暮れていた時、得意先の社長に『箔押が出来るのだから仕事をしてくれ』との事で焼失を免れた機械を1台与えられ、現在の新宿区早稲田鶴巻町(旧牛込区)で四畳半一間の長屋の一角で独立したのが始まりで、次から次へと来る仕事でだんだんと人手と機械を増やし、工場も徐々に大きな所に移設し、昭和12年には新宿区新小
町に移転し、自社工場を構えるまでに至った。
しかしながら、昭和16年からは第二次世界大戦が始まり、段々と工場の作業員も戦争に出世して行き、人手不足から仕事の方も一時中断せざるを得なかった。その間は「斉藤薬学研究所」として日本軍に納める殺虫剤等を製造し、これが大ヒット商品となっていった。
昭和20年4月の大空襲で工場も住まいも焼失。しばらく休業したが、戦火を避けて疎開先に移動してあった手動箔押機4台を元に、新小川町にバラック建ての工場を建てて昭和22年に再開した。すべてを焼失した日本の復興の時代の動きはすごい勢いで、出版物は特にすごい量が出回った。
昭和24年2月には有限会社斉藤商会を設立した。
初代は手動箔押機では集まってくる仕事を捌き切れないと、モーターによる上下動のある箔押機の開発改良に着手し、同時に板状の箔からロール状の箔の開発にも力を注いで行き、10年掛けてこれを完成させた。しかしその開発・改良以上に世の中の伸びの方が早足で追いついてきていた。
そこで(二代目社長)齋藤 潔が専務になりたての昭和36年に単身渡航し、完全自動化された箔押機と表紙貼機を探し買いつけてきた。それらの機械を導入しても間に合わないくらいの日本の伸び方は勢いが強かった。
昭和60年代初めまでこの勢いは続いたが年々衰えはじめ、平成5年頃より上製本の姿は消えていった。
当社は50年代より薄物のシリンダー機・プラテン機等を導入し、そちらの方面に方向転換を計っていたので今
日に継がってこられたと言える。
この先も音楽関係のCD・DVDのパッケージ・その他のパッケージの箔押加工、バインダー、ファイルの製造、
パンフレット等への箔押をメインに伸ばして行こうと計画をしている。
大正12年10月 | (初代)齋藤辰三が新宿区早稲田鶴巻町にて斉藤箔押所を開業 |
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大正15年 | 新宿区早稲田山吹町に移転 |
昭和12年10月 | 新宿区新小川町に本社を新設(自社工場) |
昭和18年~ 20年4月 |
斉藤薬学研究所を併設開業 |
昭和20年4月 | 第二次世界大戦にて新小川町工場を焼失 |
昭和22年12月 | 手動機4台を元に新小川町にて再開 |
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昭和24年2月 | 資本金50万円にて有限会社斉藤商会を設立 |
昭和28年 | 大阪三進鉄工所と協同で箔押機の自動化に着手 |
昭和30年 | 自動化1号機完成 |
昭和32年 | 上記同型機のロボット化に着手。 同時にロール箔の開発を箔メーカーと共に始める。 |
昭和33年 | ロール箔完成。箔押機の自動化(ロボット化)に成功 |
昭和35年 | 自動表紙貼機を西独より輸入 |
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昭和36年10月 | 西独コルブス社より自動表紙貼機・自動箔押機を輸入オートメーション化開始、以後昭和45年迄に1億円余りの機械設備投資を行い、作業の自動化を図る |
昭和37年 | 接着剤研究完成 |
昭和37年12月 | 二代目)齋藤潔、完全自動化を目的とした渡航 (米国・ヨーロッパ) |
昭和38年 | 完全自動箔押機(上製本表紙、厚紙用)を輸入、運転に成功 |
昭和39年 | 自動表紙貼機及び自動箔押機を導入 |
昭和40年 | DA-36型表紙貼機及び自動箔押機PE-45型を導入 |
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昭和41年 | DA-36型表紙貼機及び自動箔押機PE-45型を導入 |
昭和42年 | 本社工場を鉄筋コンクリート4階建に立替完成 DA-36型表紙貼機及び自動箔押機PE-45型を導入 |
昭和43年 | DA-36型表紙貼機及び自動箔押機PE-45型を導入 |
昭和44年12月 | 本社工場を新築 自動箔押機PE-45型を導入 |
昭和45年4月 | 資本金を400万円に増資 自動箔押機PE-70型を導入 |
昭和46年9月 | 本社工場、4階建ビルに増築 DA-36型表紙貼機及び国産完全自動機を開発導入 |
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昭和47年 | ハイデルプラテン型箔押機2台導入 |
昭和49年9月 | 資本金を1,500万円に増資 |
昭和50年4月 | 箔押機及び表紙貼機を増設 |
昭和53年10月 | ビニール表紙用ウェルダー箔押機2台を増設 |
昭和53年~ 昭和60年半まで |
高周波箔押機自動化に着手(2年後昭和55年完成) |
昭和57年2月 | (一代目)齋藤辰三社長退任の後会長に就任、代表取締役に(二代目)齋藤潔就任 |
昭和57年9月 | 倉庫を増設 断裁部門を導入合理化を図る |
昭和62年3月 | 薄物用箔押機 A全シリンダー機導入 |
昭和63年5月 | 薄物用箔押機 A全シリンダー機導入 |
平成2年3月 | 埼玉県笹目に工場を移転、経営の多角化及び合理化を図る |
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平成4年8月 | 戸田市美女木に工場を新築し移転(延面積 2,835.57㎡、地下1F、地上3F) |
平成5年 | 戸田市美女木に工場を移転 平圧箔押機 4台、3馬力導入 |
平成7年1月 | 本社及校正部を戸田工場と統合合理化を図る |
平成18年 | (二代目)齋藤潔社長退任の後会長に就任、代表取締役に(三代目)齋藤辰哉就任 4/6半裁シリンダー導入 |
平成19年 | ポーラ断裁機を導入 国産平圧大型箔押機を導入 |
平成20年 | スイス・ギーツ社製 平圧箔押機を導入 |
平成22年 | 菊全シリンダー箔押機を導入 |
平成23年4月 | 事務所移転しました。 |